築100年 賃料1万から2.5万(一部12万) 単身者 年代様々 某有名大学現役及び卒業者、建築関係者不動産業者など 計32戸

過去において一番の難物件であった。寄宿舎の趣の建築物であり居住者全員が繋がっている。おそらくこれ以上に困難な案件は今後も出てこないであろう。

門前払いは当然のこと、交渉も当初は全員で拒否していたが32名もいると中ではいろいろあるらしく、次第にグループに分かれているのがわかってきた。

そのグループに絞って退去のお願いをしていくなかで人間関係が構築され10名ほどは合意できた。英国人のカメラマンの方は世界中を飛び回っていてある時期を超えると1年近く日本には帰らないという。英語で細部の条件を詰めるのは無理と判断し、英語の詳しい人間を臨時バイトで雇い交渉時の通訳と契約書の作成等に尽力いただいた。

その後も、粘り強く交渉を重ねてはいたが一向にらちが明かないため時期の限度をもって弁護士を介在させざるを得なかった。当然、老朽化裁判になるのだが相手は建物保存運動を喚起してマスコミなどにも取り上げられた。

その際、80代のおばあさんがいたためどうしても裁判になる前にこの方と合意を取らなければならない。そのため、役所の担当者を決めてもらい区の助成の手続き、それら補助の一切を行いやっと信頼を得、引っ越しの踏ん切りを付けていただいた。

その後、裁判が始まるのだが裁判は月に1回あれば良いほうで遅々として進まない。重厚な資料を弁護士が用意、提出するがものの10分位で終了してしまう。ただ、風向きは徐々に我々に傾きだしてきた。

当方の弁護士のすごいところは20名を相手にする際、我々の情報を詳細に聞き取り3グループに振り分けたところだ。分け方としては、A:保存派 B:中間派 C:金銭和解派、とし、Cグループからの対応を始めた。

最終的には、8名が最後まで抵抗した。一審勝訴⇒二審勝訴⇒上告棄却であった。8名は最後まで抵抗し金銭給付の和解にも一切応じない姿勢であったが早期の決断と弁護士の介入は間違ってなかったと、残念ながらも実感した瞬間だった。全面勝訴まで、最初の交渉から4年が経過していた。強制執行にならずに自ら出て行ってくれたのは、この現場で唯一、助かったことであった。